体験談集2

 

E.S.さん体験(岐阜2008.12.27

  

今は、とにかくディクシャを受けつづけてよかったと思っています。

3ヶ月くらい前までは、今の自分を想像すらできませんでした。

プレゼンスというものをよくわからないまま受けていました。

松田先生のところにきてプレゼンスの目覚めというのがあったのですが、最初の頃は、とにかく自分の苦しみをなんとかしたいと、その思いだけでせいいっぱいでまわりのことは何も見えていませんでした。

プレゼンスについてもなにがなんだかわからないまま、語りかけてみなさいと言われたのでそうしてみたら、本当にここにいるでしょうと答えが返ってきました。

2回目に参加した時は言葉でうまく言い表せないのですがプレゼンスの方が、とてもたくさんいつも思ってくださっているということがつたわってきて心がいっぱいになりました。

その頃からときどき会話するようになりいまはいつでも話しかけると答えてくださいます。

最初は本当なんだろうかと半信半疑でした。

でもだんだんと信じられるようになりました。

話して下さるアドバイスは本当に奥が深いということが分かってきました。

助けられたこともあります。

冬至の日にかぼちゃを煮ようと思って包丁で切っている時にあやまって左親指の爪の上を包丁でスパッと切ってしまいました。

切れてしまったと思いこわかったのですが、その時プレゼンスのかたが包丁の角度をかえてから大丈夫だとおっしゃいまいた。

爪を見たら切れていなかったのです。

爪のはじのところが少しだけななめにきれていましたがたいしたことはありませんでした。


思いきり力をこめて切っていたのでアレッていう感じでした。
そして本当なんだなあと思いました。

こんな小さなことがつみかさなって今は、プレゼンスのかたを本当に信じています。

もちろん苦しみから救ってくださったのもプレゼンスの方です。

今は、毎日、プレゼンスの方と一緒です。

あたりまえにあると思っていたものすべてがあるだけでありがたいと思うようになりました。

アンマ・バガヴァン様、そして松田先生、ディクシャにかかわっている方々すべてに感謝します。
どうもありがとうございます。

 

 

TOMATOさん  岐阜 20081月  

1月のデイクシャ会は、一日体験を共にする中で、初対面同士のはずが、まるで旧知の仲のような親近感が感じられ、終始、笑顔があふれ、

和やかで優しい雰囲気の漂う会だったと感じています。

本当に、ありがとうございます。
Bさんのおかあさんは、翌日
「遠路、行ってよかった。本当に価値ある会だ。」
と喜んでBさんにお話されたようです。

デイクシャ後は、頭がすっきりとした状態が今も続き、長年、悩みの種の不眠状態が、その日は昼夜ぐっすり眠れたようです。

また、松田先生とわたしの言葉のやり取りが、なんともおもしろく愉快で楽しい。

B家の皆さんは、感じておられるようです。

ぼけとつっこみでしょうかね。
それはさておき、いよいよ本題。
今を語るには過去にさかのぼって語りたい気分なので、恐縮しますが… これまでの体験について報告します。


20063月にデイクシャを知り2年になろうとしています。

これまで12回デイクシャを受け、そのうち7回が松田先生のデイクシャとなります。

その年の6月に、神戸で初めて松田先生のデイクシャを受けさせていただいたのですが、そこでの出会いが、私にとって強烈な体験となり、今日に至っています。

先生の瞳は深く、吸い込まれるような感じで、私の目を離しませんでした。

多くを語らなくても、私を分かってくださる方にやっと出会えたーという喜びが湧き出て、どっぷりはまってしまいました。

その会には、誘われるまま参加したのですが、そのときの私は、2日間の体験で、自分のハートが何を感じるか、感じるままに楽しもうとだけ思っていました。

起こることすべてをそっくりそのまま感じようと、その一点だけに神経を集中させていました。

初めてのデイクシャでハグされたときに、思わず湧き出た感情があったこと。

先生の気配を感じただけで、自分の意識とは関係なく、涙がとめどなくぽたぽたと流れたこと。

横になったときに、大きな温かい手で背中を抱え込まれた感じがしたこと。

などの体験を通し、
「何かに頼りたかったんだ」
という心の奥底に眠る寂しさに気づかされ、
「この私を包んでくださる存在がある」
「一人じゃない」
ことを感じ、有り難くて有り難くて、嬉しくて嬉しくて、ただただ涙があふれたのを、今でも昨日のことのように覚えています。

喜びと快感そのものでした。

その後も、目の前で展開される悲喜こもごもの現実のなかで、のど奥にずっと不快感としてあったものが、9月に3回目のデイクシャを受けた後、まるで憑き物が落ちたかのように、明瞭感と爽快感を感じました。

そのときに、自分が歩む道を再認識することができ、今できることを誠実に、役割を果たして生きたいと揺るぎなく思う今日につながっていると感じています。

生きているうちに、この道に出会え、お導きいただいている毎日に気づけたことを、本当に嬉しく思うと同時に「いつもいつもありがとう。」と感謝の念で一杯でいます。ひたひたと、にんまり嬉しい気分に満たされている今、心は、静かに波打つ『静寂の湖面』といったイメージの中にいます。

 

 

MNさん       

 

私は200512月に21日間コース、200612月に上級コースに参加しました。

その間に沢山の体験をしました。

アンマ・バガヴァンにハグをしてもらったビジョンや、アンマとバガヴァンのエネルギーがハートに飛び込んでくる体験など様々な体験をしました。

それは素晴らしいもので、私は喜びにふるえ、有頂天になりました。

しかし、その喜びは長くは続きませんでした。

 

苦しみがやってきました。

乗り越えても又次の苦しみが来ました。

乗り越えても、乗り越えても苦しみは次々とやってきました。

そしてとうとう私は「もうバガヴァンもデイクシャもいらない。これでは今迄の宗教やスピリチュアルなセミナーと同じだ!」と、叫んでいました。

 

でも、そこから新しい始まりがありました。

 

ワンネスインストラクターの仲間が松田先生の岡山での合宿に誘ってくれたのです。

松田先生のデイクシャ会や勉強会には20065月頃より時々参加していました。

そして、その度にいろんな気付きを頂いておりました。

それで、20083月の合宿に参加することにしました。

その合宿の中でデバインプレゼンスから、メッセージを受けました。

『良い師に出会いましたね。

ついて行きなさい。

間違いのない道です。』

 

実は私はバガヴァンを知る20数年前、宗教を転々としていた時期がありました。

そのある時期に「お告げ」をする役目を担っていた事がありました。

勉強もしていなく。意識も低い私から、いきなり言葉が出始め、神か霊かも分からない言葉を「神様のお言葉」として、信者の方々に伝えられているのを知ったとき、私は恐ろしさと不安で一杯になりました。

そして、耐え切れずそこから逃げ出し、宗教から縁を切りました。

 

ところが、デイクシャを受け始めてから、私の心の中の独り言に対して、返事が来るようになりました。

私は以前の事を思い出し、心の中の独り言を無くす様に努め、意識を合わせないようにしました。

でも、うっかりすると返事が来てしまいます。

 

インドのコース中にプレゼンスの話があり、担当のダーサジーにこの事を話すと「プレゼンスです。絆を深めなさい。」と、言われました。

それでも、なかなか信ずる事が出来ず、二度目のインドのコースでも、ダーサジーに問うと「プレゼンスです。」と言われました。

 

信じたいけど、信じきれない。

そういうゆれ動く心の状態のときの、岡山でのプレゼンスのメッセージだったのです。

 

『良い師に出会いましたね。

 ついて行きなさい

 間違いのない道です』

 

私はあえて聞きました。

「良い師とは、松田先生のことですか?」

『バガヴァンあっての、松田先生です。バガヴァンと松田先生は一体です。』

 

その後4月ごろより、続けてメッセージが出るようになりました。

松田先生にその事を相談すると、「出る言葉をかいてみたら。」と言ってくださったので、書き留めてみました。

 

それはその時の私の心の状態にあわせ、教えであったり、励ましであったり、お叱りのメッセージでもありました。

その内の一つを書いて見ます。

『誰に伝えると言うものではないが、己の精進の為に役立つと思う事を、

与えていこうと思う。これからの道は険しい。しかし、喜びの道である。

神の与えた通りに行ずれば、自然と神の願いを行ずる事となる。

それは神あっての人、人あっての神、お互いに助け合うことである。どちらが偉いと言う事ではない。それぞれの役目に応じて進むことにより、道は開けるのである。』

 

この時、私は、あまりの有難さに涙がとまりませんでした。

 

こうしたメッセージを頂いているうちに、私はとても心が軽くなっている事に気付きました。こだわりがなくなっていたのです。

 

今迄、心に、いろんな囚われがありました。

“ああしてはいけない。こうしてはいけない。

こうでなければならない。こうしなければならない“

それがみんな消えました。

 

プレゼンスはいつも言ってくれます。

『いつもあなたのそばにいます。

 いつもあなたの味方です。

 いつでも 語りかけて下さい。

 苦しみも 悲しみも 喜びも共にあります。

 わたしはあなた。あなたはわたし。

 ワンネスです。』

 

私達はいつも、アンマ・バガヴァン、デバインプレゼンスに見守られ、導いて頂いております。

どれだけ有難い事であるか、感謝と一口では表せないほど、大きいものです。

 

永い間、夫のことで苦しんできましたが、その苦しみも嘘のように消えました。

争いは無くなりました。

無理だと諦めていた200810月のレベル2も参加出来ました。

夫からインドに出発の際には「気をつけて行っておいで」と夢のような言葉も貰いました。

 

2008年レベル2では堅いブロックからも解放されました。

 

今私は、日常生活も内側の自分も平穏です。

この先の不安はありません。

この平穏が当たり前になり、感謝する事さえ忘れている事があります。

 

最近プレゼンスから、『いま、入り口に立ったとき』と言われました。

この先、何があるか分かりませんが、アンマ・バガヴァン、プレゼンスは見守り、導いてくれると、信じています。

 

ここまでたどりつけた事に、アンマ・バガヴァン、プレゼンス、そして、松田先生、地区のリーダーの纓田さん夫妻、インストラクターの仲間のみなさん、夫、家族に限りない愛と感謝を捧げます。  合掌

 

 

N.K.さん (2008.4.5 大阪 )

とても素晴らしいディクシャ会でしたよね!

自分で自分の状態というのはわからないので、Kさんに感じていただけた事がとても嬉しかったです。

実は、精妙なエネルギーについては、午前中のディクシャの時、私は松田先生から強く感じたんです。

とてもパワフルでした。恐らく K さんが感じられたのと同じなんじゃないか なあと思っています。

その時のエネルギーの感じを思い出すと、胸がドキドキしま す。

何だか恋してるみたいな感じですね、こういうのも至福なんでしょうか?

それから、来られていた女性は、本当に精一杯なんだなあ、と感じました。

中身がいっぱいだから、吐き出させてあげたいなあ、と感じていました。大きなお世話になります ね。

午後からのサムスカーラシュッディは、本当にシンプルに、かつ、丁寧に説明して戴いて、すごくわかりやすかったし、実際の体験もとても具体的な手応えがあり、 家に帰ってから自分が満たされているのがハッキリわかりました。物凄い充実感です。

調子に乗って、その夜もサムスカーラシュッディをやってみました。

そしたら今日も充実感でいっぱいです。

松田先生の会は関西ではそんなに長くないのですね? ちょっと驚きです。

私の感想なんてたいしたことないですが、多分、あそこに居た方全員、『素晴らしい会だった』と感じられてるんじゃないでしょうか?わかんないですけどね。

先生のやるサムスカーラシュッディは本当に、確実だなあという感じです。

ほんとにサッチタナンダ-になれれば…楽しみです。それと、松田先生のすごく静まった雰囲気が好きです。

それから Kさんからもとても穏やかで温かい感じ を受けます。また、今度を楽しみにしています。


KFさん  11月 東京

他人に対して身構えていたのがゆるんできた。

こだわりがなくなってきた。

”その方の状態によって、その在り方しか無理だ”とか考え方が変化した。

反応で動くことが少なくなってきた。

座っている座ぶとんや畳にも、瞬間ですがすごいありがたさを感じました。

身体的には頭が重く軽く痛みがあります。

お腹が苦しいです。

思考が静まっています。

自己からの開放はこの自分からは決してなしえないという絶望感があって、恩寵によってそこに導かれると知った時は、嬉しかった反面、全て現在に関わっていることも恩寵なのでは・・・という思いが現在はあります。

悟りのみが恩寵だと思っていたのです。

全ては神々のみ心のままに・・・真理はパラドックスというお話に理屈なく喜びを感じました。

色々本日はありがとうございました。

 

 
YIさん  東京

昔は好んで行っていた心理的、肉体的に負担が強いことができなくなってしまいました。もちろん、仕事や義理でやらなければならない時もありますが。

それはどういうことかと言うと、「ああ、この人はこういうことを考えているんだな」、「この人はこういうことが言いたくてこう言ってるのかな」とか、自分の解釈が入り込んでいたのです。つまり、人の話を真っ直ぐに聞けていない状態でした。しかし、ディクシャを受けた後、すごく体が軽くなっていたのと同時に、私の内面にも変化が現れていたことに、後になって気づきました。

 

 

ディクシャの後、インドに行ってきた人達の体験談を伺う時間がありましたが、このときに、初対面の人達のそれぞれの体験談やお話がごく自然に、ストレートに自分の心に入ってくるのを感じました。

私自身の価値観やジャッジというフィルターを介さずに、ダイレクトに入ってくるという感じがしたので、共感や感動がより深まりました。

今までの私は、映画の批評家がある映画について、自分の物差しでストーリーを捉えて、「これはよい」、「これはダメ」と評価したり、批判したりしている、それに近い感じだった気がします。

ですので、他人の話を一つのストーリーとして淡々と聞く感じではなく、自分のことのようにリアルな感動があったのは、自分でも意外でした。

また、このことは「ありのままの自分を認める、受け入れる、許す」ということと、同じ方向に向かっているのだと思いました。

それは頭では理解してきたことですが、この時は頭ではなく、確かな感覚としてよくわかりました。

私は今まで、自分を大きく見せたい、人から認められたいと思うが故、頑張り過ぎてしまうところがあります。

また、人から好かれたい、良く思われたいという思いも強くあります。

そのため、「こうしてはいけない」、「こうしなきゃいけない」というような自分で自分を一つの「理想」という型に縛り付けるようなことをずっとやってきました。

そのため、自分の頭と心と体がバラバラの状態になってしまうことがよくありました。(そういう時は、決まって私は体に変調が出てバランスを崩してしまうのですが・・)

心は傷ついている、しかし頭ではそれはいけないことだと考えている、そして頭の考えで強引に納得させようとする。・・・悲しみ、怒りなど、湧き起こってくる感情はすべてそうでした。

ある意味「計算」であり、自分を「理想の人間像」というレールに強引に乗せようとするような行為でした。

しかし、本当の私はでこぼこに曲がりくねったレールなのです。

私はディクシャの後で、別の話をしているときに、ある「悲しみ」の感情が沸き起こってきました。

今までにもその話をして、何度となく沸き起こってきた悲しみです。

しかし、今までは「私は大丈夫」、「悲しくない」と考え、そこを頑固なまでに譲らず、自分に言い聞かせて、意識を別の方向に向けてきました。

「これをしてはいけない」、「こうすべきだ」、「周囲から認められる人間でなければならない」、・・・などの様々な無意識の信念が、私という人間を、よりシンプルで素直な

状態から遠ざけていたのかも知れません。

(しかしこれは今になって気づいたことで、それまでは自分がそういった信念にコントロールされているということにすら、気付きませんでした。)

でも、考えないようにすればするほど、モヤモヤは残っているので、その話が出ると、そのモヤモヤした悲しみはまた燻り始めます。

しかし、ディクシャの後で感じた「悲しみ」は、今までのパターンとはやや違っていました。意識を他に向けようとしたり、ごまかそうとする力すら沸いてこなかったのです。

 だから、悲しみの感情を避けることができず、それを真正面から受け入れるしかないような状態でした。

その悲しみは、夜の寒い海に沈んでいくような、自分の存在そのものが消えてしまいそうな悲しみでした。

私は相手に気を遣ったり、何かの言葉を発することすら忘れていました。(というか、できませんでした。)私はその相手に、「それを言われてすごく悲しかったです」と初めて伝えました。相手からは、それは前から気づいていたと言われました。

しかし、私はその「悲しみ」の感情を素直に受け入れた、そして相手に対して認めた自分が新鮮であり、そんな自分を好きだと思いました。

「自分はこうあらねばならない」という、今まで自分を縛ってきた価値観が、ディクシャの恩寵によって少し消えたのかも知れません。

また、こうありたいと頭で描く自分と現実の自分と、現実の自分の内側とのギャップにもはっきりと気づきました。その夜、布団に入って横になった後も、その悲しみはもっと大きな波として押し寄せてきて、私は仰向けになったまま、涙を流しました。

涙は流れても流れても止まらず、嗚咽も止まりませんでした。自分が寝ているこの布団もろとも、沈んでいくんじゃないかと思うほどの悲しみでした。


相手に言われた言葉は、ただの「言葉」であって、そこに悲しみがあるわけではないと思います。

悲しみは、私が過去に傷ついたトラウマや、自分の被害妄想が勝手に作り出した「感情」にほかならないのだと思います。

「いつも一番大切な人は、なぜか私を切り捨ててどこかへ行ってしまう」、
「私はこの後もずっと、愛している人から愛されることはないだろう」、
「今のこの幸せがすべて消え去ってしまう」、「私は認められていない」、
「私には価値がない」、「私がただ一人残された孤独」、・・・

ほとんどがエゴの、醜い、独りよがりの、ネガティブな思考ですが、でもその感情から逃げずに正面から向き合えたことは、私にとっては成長の一歩なのかな?と思います。

ネガティブな感情が湧き起こってくるなら、逃げればそれはどこまでも追いかけて来ること(繰り返すこと)は過去の体験で分かっていますし、ネガティブとしっかり向き合うことも、一時的なプロセスとしては必要なことなのかも知れないと思いました。

私は4月29日に松田先生のディクシャを受けて、初めて本当に意味でのスタートラインに立ったのだと思っています。ここから私の本当の旅が始まったような気がしています。

たいへん長くなりましたが、読んでくださってありがとうございました。また、松田先生にお会いできる日を心より楽しみにしております

 

 

YKさん  東京 '07 12 

(12月16日記分)
こんばんは。今日も素晴らしいディクシャ会でした。ありがとうございます。

今日のサムスカーラ・シュッディは強烈で、ボケ~としてたので感想文を書ける状態ではありませんでした。

何が強烈だったかと言うと…
数を数えて、アンマバカヴァンと唱えると同時に、頭だけに強烈なエネルギーが纏わりつき、意識を保とうとしても、あっと言う間に寝てしまうのです(笑)  
それも一瞬で落ちて、深~く寝ました。


なので二回目は、意識を保つ事にわざと(笑)トライしましたが、「ひゃっ!エネルギーが来た来た」と感じるやいなや、又一瞬で落ちてしまいました。


それでも起きた時はスッキリしてるから、ホントに面白いですね。自分ではな~んにもやる必要ないって、つくづく思います。


掃除さえ、勝手にしてくれて、何が掃除されたかを知る必要もないなんて、こんなに楽ちんなものはありません(笑)


ディクシャ会では「体験」と言う言葉を皆様言いますが、私は毎日「体験」の連続です。

日常の生活そのもの…。
思う事、見るもの、聞く事、出会い、感情、あらゆる全てが「体験」だと感じます。

なので、逆説的ですが「何もないと言う体験」の意味も、分かるようになりました。

最近私は、あまりプレゼンスを意識しなくなりました。
以前は、プレゼンスプレゼンスと思っていましたが、今は、プレゼンスはいて当たり前で、プレゼンスが何でも知っているので、安心して迷うことも悩むことも出来るようになりました。すぐに道が示されますから。

今はやりたい事も、行きたい所も、会いたい人も、私が考えた瞬間プレゼンスが選んで連れて行ってくれてるように感じます。

何故なら、何処に行っても、誰に会っても「あ~、これは決まっていた事なんだなぁ」と感じるからです。こんな事ばかりだと、とてもじゃないけど「自分」の意思だけではないと思わざるえないです。

私は以前から「私にハッキリ分かるように働いてくれ」と願っていたせいか、とても分かりやすく「納得」出来るものを与えてくれます。
それが一番有り難く、助かってます。

広島へも行く予定でしたが、突然「山中湖に行こう」と閃き、従って素晴らしい体験がありました。

そんなわけで、マインドが立てた計画は、heartにより変更を余儀なくされますが、楽しんでいます。

そう言えば…確か前回先生が、何の話しの時だか忘れましたが、確か内側の変化とかの時期の話かなぁ。

 「それは私達が決めることではありません。決めるのはこちらの方々です」
と、キッパリ言い切ったのですが、その瞬間、私の中でコントロールみたいなものを手放せました(自動的に起こっただけです)
あれ以来、今の自分を受け入れる事が深まったようです。
ありがとうございます。


 (12月19日記)
前回、「プレゼンスはいて当たり前」云々等と書いて送信しましたが、とんでもない思い違いをしていた事が、今日分かりました。

「居る」のは当たり前なのですが、それを深く感じる事を忘れていたのです。今日、私は仕事を中断せざるえない位泣きました。涙が溢れて止まらなくて…
「愛したい」と言う気持ちが溢れてきました。

悲しいとかの感情はないのですが「愛したい」と言う想い、欲求だけが溢れてきて、そして私は「愛」が分らないと思った時、プレゼンスに祈りました。深く深く祈りました。すると、沢山の体験を与えてくれました。

瞑想をしていたのですが、額に青い光の玉が入ってきて「地球」のヴィジョンを見せられました。身体が熱くなり涙が出ました。

その時私は「長かった~。私はもう終わりにしていいのだ」と納得しました。「帰る場所」が分かったと言う安堵感に包まれました。

そして、これからもプレゼンスに語り続けようと、仲良くしていこうと改めて思いました。共に生きたいと強く感じました。

「終わり」の意味は分かりませんが、追求する気もありません。今とても幸せです。

 

 

 

サムスカーラシュッディを始めて受けました。
最初の自己紹介の時から訳も無く涙が出ていましたので(涙もろい方ではないのに)これは解放の準備が出来た何らかのエネルギーがスタンバっているのかなとは思っていました。

実際に始まり先生が説明をなさっている時には熟した果実が今にも木から落ちるかの如くで、横になった途端にマグマのようなエネルギーが一気に溢れ出してきてあまりにも激しく、恥ずかしいとかもすっ飛んでしまい泣くにも仰向けになっているのがしんどくて横を向く程でした。

以前にインナーチャイルドのセッションを受けた際にも同様の事がありましたが比じゃなく、驚きの体験で帰りの電車の中では“この軽さは何!?”でした(笑) 

この10日間程の流れを思い返してみましたら、今日の会には参加するようになっていて,その為の準備をハイヤーセルフやガイド(?)がしてくれていた気がします。
本当に有り難い事だと思っています。
 
松田先生は、こんな事を言ったら失礼かもしれませんがチャーミングな方だなという印象を受けました♪
昨年講演を聴きにいきましたダライ・ラマ法王に似たエネルギーを感じました。
私もチベットにはご縁があるようですので、もしやお会いしていなくとも同じ時代に生きていた事があるかしら、などと思ったりしました。
ご参加の皆さんも素敵な方達ばかりで、もっとずっとお話しを聞いていたい気持ちでした。
 
 
KAさん  東京  2007.9

今回は、寝ているうちにセッションが始まり、寝ているうちにセッションが終わっていた。
午前中Divine Presenceのときに咳が出ていたので、何かが浄化されていたのだと思う。(でも、サムスカーラ・シュッディの時間には特段咳は出ていなかった)

 
YKさん  東京  2007.9

松田先生のお話(何もしないという話etc.)が全て腑に落ちて日常のヒントになりました。シャバアサナのとき、意識が過去に行ったり先に行ったりと「今ここ」にいないなーと痛感。しかし、それも先生のお話で分かりました。
「ここにいよう」としても無理かもなーと。「何もしない」というのが全てなのかなーと。
とても落ち着きました。ありがとうございます。
 
 
YKさん  東京  2007.8

最近、面白いなあと思った体験は「私は苦しくないんだ」と気いた瞬間幸せになったことです。
今までは「自分が苦しい」ことに気付くとその瞬間に転換が起こっていましたが、この時は「苦しくないんだ」と気付いたとき、不満が残っているそのままで幸せを感じたのでした。

以前はいつも、強烈な体験、不思議な体験というのをディクシャ中にしていましたが、最近はディクシャ中はエネルギーの流れを感じるだけで、何も起こりません。そのことに対してがっかりする気持ちがありましたが、今日は「何も起こらない」という事がなぜか喜びで嬉しいと思いました。

プレゼンスを感じるのは日常の方が多くなってきました。普段、私はびっくりするくらい小さなことでもプレゼンスを呼んだり、話しかけたりします。
それはこれからもやっていこうと思いました。

 
KAさん  東京  2007.8

ディクシャの後、腸に対して持っている不安が出てきました。後は寝ていました。


AKさん  東京  2007.8

プレゼンスのセッションが始まる前から、バガヴァンのエネルギーが凄い勢いで入ってきて、体が独りでに振り子のように動き続けました。
ディクシャのとき、アンマとバガヴァンがギヴァーとして直接ディクシャをしてくれましたが、特に今日はアンマのエネルギーが大きく優しく私をハグしてくれたイメージで、ハートチャクラが暑くない感謝の気持ちで涙が溢れました。


KEさん  東京  2007.8

ディクシャはたくさん受けてきています。変化としては、悩み事があっても悩まなくなり、生きることがとても軽くなりました。

今日は、先生がおっしゃっていた自分の体験に「驚く」というのが本物だということを思い出しました。私も何度か驚くような体験をし、ハプニングとして、起こるものなのだと気づいたことがありましたが、それを改めて思い出すことができたディクシャ会でした。ありがとうございました。

 
MNさん  東京  2007.8

ディクシャを受けるようになって、いろいろな気づきがあるのですが、現実は変わらず、現実を変えたいと思っています。

今日のサムスカーラ・シュッディで、やはり胸から喉、背中にかけてが苦しいと思いました。今日教わったサムスカーラ・シュッディを続けていき、父母への怒りから早く解放され楽になりたいです。

 
AMさん 東京 2007.7

ディクシャを受け続けていますが、最近は以前と違って喜怒哀楽といった感情が出やすくなりました。ただ、気持ちも安定したようでいながら、未だに上がったり下がったりを繰り返しています。

今日は安心感がありました。シャバアサナのとき、とてもだるく肉体と精神が離れたような眠っているような起きているような感じで、深く吸い込まれたような感覚を味わっていました。

 
MYさん  東京 2007.7

ディクシャを受けるようになって、勘が冴えているように思う。
今日は、素直になることを改めて大切だと思った。なぜなら、じたばたしたり欲をかく(マインドのいたずら)事をしない方が、よいことを思いついていたり、後で、やっぱりそうだったか失敗した、ということもなくなるから……納得させていただいた時間でした。


KTさん  東京 2007.7

今まで何回もディクシャを受けてきましたが、その場で起きていることを感じられたディクシャはありませんでした。どちらかというと受けている時は何も感じていませんでした。でも、今日のディクシャは今までと違いました。エネルギーが降りてくるのがわかりました。

そして頭のどこに働いているか、はっきり感じました。
そして、言い表すことが難しい喜び、光、安心感、守られている幹事、とか、それと一番よかったのがサムスカーラ・シュッディでした。今まではいつも深刻で真剣に願わなければという感じだったのですが、あんなに面白く感じたディクシャは初めてです。
 
 
YIさん  東京  2007.7

ディクシャを受けるようになって、瞑想がしやすく、気づきが多くなっています。音楽の感じ方も変わりました。

前回の体験がとても強烈でした。前世に関するものだったのだが、前世というものもあるのかも、と不思議な気分でした。体験するということがどういうものであるかをリアルに感じることができました。
それ以後、体験するということにトライしようとしています。自分の生活の中でネガティブなことがあると、まだ充分に体験できていないなあと感じて、体験しようと思うのだけれど、なかなか前回のディクシャ会のときのようにはなりません。
でも、そのように思うことで以前とは変わってきているのだと思います。
今回は母のお腹にいたときのトラウマを感じることができました。前回もそうでしたが、自分が行っているキネシオロジーのセッションと深い関わりがあり、キネシオロジーで体験したことをさらにディクシャで深く体験できるといった感じでした。
暖かいディクシャをしていただき、ありがとうございます。
 
 
KSさん  東京  2007.7

今日は「私」というルーツの根源を見せてくださいとお願いしましたら、エレベーターで下へ降りていくのと共に根本へ行って、実はいつもそこにいるのかもしれないと思いました。
5月の合宿、そして広島へ行って以来、細胞のようなものがずっと光って見えるのですが、それとゴールデンボールがさらに急速に回転していて、とても熱くて滝のようにあふれ出しているのが見えました。
夜になると時々見えるのですが、強い赤い光も時々現れました。
 
 
HHさん 神奈川 2007.7 

先生のお話はシンプルですが深い内容でとても参考になりました。
ディクシャはパワフルで、意識が消えてなくなるような感覚がありました。
 
 
MKさん  神奈川  2007.7

先生のお話は、私にとってもよかったのは勿論ですが、自分の周りの方々にも聞いていただきたい内容でした。ありがとうございました。

のんびり、一日を自分のために使えて、こんな日が月に一日あって、皆さんとお会いできるといいなと思っています。
 
 
YSさん  神奈川  2007.7

お話がとても分かりやすかったです。プレゼンスのこともより理解できました。
ディクシャでは、身体が細胞レベルからほぐれていくような感覚がありました。
 
 
HKさん  2006.11

2日間、ありがとうございました。
 
だいぶ正気に戻ってきたので、メールさせていただいておきます。
 
今日のサムスカーラ・シュディでは、横になった途端ぐんぐんバガヴァンが現れ、私のからだの中にすっぽり入ってしまいました。たまげているとアンマが、例の黒い箱を手に現れました。すると、バガヴァン=私の手が実際に動き、箱をあけたのです。
 
箱の中には、生まれたばかりの私を抱いた母がいました。
母は自殺しようとしていました。私はそれをくいとめるために生まれてきたのです。妊娠中もずっと流産しそうで、また父が浮気をしていて辛かったこと、しかも私が生まれたときに勝手に父が引っ越してしまっていて退院する先がなく途方にくれたことは聞いていましたが、自殺しようとしていたなんて考えたこともありませんでした。
 
母の深い絶望と悲しみ、怒りが生まれたばかりの私に伝わり、からだが引きちぎれそうに痛みました。アンマが、私の痛みが去るまでずっと、私と母を丸ごと2人、抱きしめてくれていました。
 
痛みが去るとバガヴァンがからだから出て教えてくれました。
「自殺は人間に最大のカルマをつくる。あなたはそれをくいとめた。よくやりました。あなたは今年亡くなったお母さんを救えなかったことに苦しんでいますが、お母さんは自殺をせず、天寿をまっとうしていけたのです。人一人自殺するだけで、人類のカルマがとても重いものになる。よくやってくれてありがとう」。
「あなたも前世で自殺をしている。今生も周りに何人も自殺をしている人がいるのはそのせいです。しかし、あなたの負債はこれでなくなりました」。
そして2人でにこにことして、ずっと私を抱きしめてくれました。
 
その後、昨日浄化が途中だったシーン・・・つまり死に逝く母を看取るシーンが現れましたが、ほとんど苦しくなく、母が私にとても感謝していることが伝わってきました。
 
チャクラ瞑想の後は、パラボナアンテナが3つ現れ、ピラミッドを形成し、光を受け始めました。「これで受信機ができました」とアンマがにこにこして言いました。「3次元ではこの形が必要なのです」とバガヴァンが言いました。その後、「HK」という私の名前が、掃除機のようなもので吸い取られていきました。「えっ! それじゃ私の新しい名前は!」と叫びましたが、それは示されないまま時間がきました。
 
こんな感じです。
あまりにもきてれつというかぶっとんだ内容なので、皆さんの前でお話しするのは、はばかられました。ただ、これが真実であるかどうかにかかわらず、私が深く救われたのは事実です。苦しんでいた原因さえわかっていなかった。まさに、人の力では及ばぬ部分です。
 
ディクシャを2回受けたことがありましたが、このように深い体験をさせていただいたのは、松田先生の長いご経験とご指導があってこそです。ほんとうにありがとうございました。
 そして、完全にアンマとバガヴァンに降参し、2人を信頼し、愛し、これからやっていこうと思います。インドに行けることが心から嬉しいです。
 また先生の会にも出席させてください。よろしくお願いいたします。
 
 
HHさん  2007.5 

松田敏彦先生
26日の素晴らしいセミナーに参加させて頂き、ありがとうございます。
私が先生の目の前に座ったということもあるのかもしれませんが、私に対して語りかけて下さったことが多かったように感じました。
恐らく、求めているものが得られないという強い思いが私の中にあるのを察知し、暖かい思いで私の方に向いて下さったのかもしれません。ありがとうございます。

私は今、とても不思議な気分です。何がどの様に変わったのかはよく分からないのですが、自分をあるがままに受け入れること、バガヴァンに全てを委ねることが、セミナーを受ける前よりもずっと自然に感じています。

セミナー中のシャバァーサナでは何か特に見えたり感じたりしたわけではなく、ただ真っ暗で静かな空間に居ただけなので、手応えのようなものはありませんでした。
だから、自分の部屋で行っている瞑想と変わらないと感じていました。「それなのに何故?」という気持ちです。

しかし、その事実を素直に受け止め、アンマ・バガヴァン、松田先生、二人のギバーの方、一緒に参加して下さった方々に感謝させて戴きます。
サムスカーラ・シュッディも不思議です。2ヶ月前の心の傷がきれいに消えたことは、セミナー中に報告致しましたが、こんなに簡単に消えてしまうものなのだろうかと今でも感じています。

この傷は、瞑想の中で何回取り組んでも消えてくれなかったものなのです。しかもセミナーの中で感じた痛みは、2ヶ月前に実際に感じたものよりもずっと小さかったので、正直申して手応えがなかったのです。しかし、事実は事実です。ありがとうございます。とても心が軽くなりました。

結果は努力に対して与えられるものという考えが頭の中に残っていて、一人相撲を取って遠回りしていたのかもしれません。

また、今回参加されていた女性の方々の話からも、理屈ぬきに素直に感じ取ることがバガヴァンの恩寵を受け取るコツなのだと感じました。この堅い頭が早く柔らかくなるように祈るのみです。ありがとうございました。

また7月16日、東京で行われる先生のセミナーに参加させて頂きますので、宜しくお願致します。
 
 
YKさん    東京  2007.5

ディクシャはたくさん受けています。
「マインドが~」とか「ジャッジが~」とか考えなくなりました。
「何もかもあって当然」って開き直ったというか、マインドやジャッジが私の中で「悪」ではなくなった。

今日は、満たされた気持ちです。
今までは満たされるとテンションが上がる~~ってカンジでしたが、今日は静かです。静かというか……何もないカンジ。
でも幸せいっぱいで。何もない? いっぱい? おもしろいです……表現って。
 
 
AKさん   東京  2007.5

プレゼンスの目覚めのセッションで、松田先生の誘導でエレベーターが一階に着き外に出たとき、アジナ・チャクラが震えはじめ、気持ちの良い景色を見ていたら、そこはただただ心地よく、筆舌につくしがたい快感でした。
その後、先生がアナハタチャクラに触れられてからは、そこがしびれたような感覚になり、息を吸うとアナハタチャクラが山のように突起し、息を吐くともとに戻る、私と一緒にチャクラも呼吸している感じがしました。
ディクシャでは、今日は一人目がアンマ、五人目がバガヴァンでした。予想外の展開に驚きましたが、大きな愛を体感し、涙が止まりませんでした。
 
 
KAさん    東京  2007.5

Divine PresenceのWork
 光の世界(表層意識)から、闇の世界(もっと奥深い意識)の入り口の映像が見えた。

Divine Prezennce ~ Deeksha
 クンダリニーが動いて、身体が震える
午後はひたすらSleeping(魂が寝ている。睡眠を欲している)
 
 
AMさん    東京  2007.5

ディクシャを受け続けているうちに、どこかに何か少しお任せをする(プレゼンス)というようなところが出てきた。
あまりがんばらない。がんばり過ぎない。

今日は楽であってよい、楽なほうを求めてよいのだと、楽になったのを感じた。
 
 
KSさん    東京  2007.5

プレゼンスの目覚め~ディクシャ
何もしないで居ること、ただ感じることが今の私のすることだと念を押されたようでした。
先生がハートチャクラに手をあててくださった後、ずっと温かく常にいてくれるという更なる安心感がありました。

サムスカーラ・シュッディがとても気持ちよく、免疫力が上がっていくような、身体中に時々しみわたるものを感じ深いところへ行っているような感覚がありました。
 
 
SKさん    東京  2007.5

30~40回くらいディクシャを受け続けてきています。
他の方の話を聞いていて「自分や人がやさしい」というのは思い当たる気がします。以前苦手だった人がそうでなく変わっていたりもありました。

ディクシャは気持ちよかったです。シャバアサナも終わってみると、あっという間という感じでした。
 
 
HHさん    東京  2007.5

今までに10回くらいディクシャを受けてきました。
怒ったり不安になったりすることが殆どなくなり、いつも気持ちよく生きることができるようになりました。
又、私は教師ですが、学生たちとの距離もとても近くなったように感じています。

今日のディクシャでは、頭の中が引っ張られるような感じがありました。
ディクシャの後は、意識はとてもしっかりしているのに、雑念が出ることがほとんどなくて、とても静かで気持ちの良い状態が続きました。ありがとうございます。

松田先生の話はとても分かりやすく、頭ではよく理解できました。あとは実践あるのみです。本当にありがとうございました。
 
 
YKさん   東京  2007.4

この二年間、いろいろなところでワンネス・ディクシャを定期的に受け続けています。
ディクシャによる一番大きな変化は、新しいことにチャレンジするとき「不安」が一瞬よぎるものの、口が先に「やります」「やりたいです」などと言っていることです。外側のことがものすごいスピードで変化していく!! 早い!!

今回はプレゼンスや他の人々などと私は一度も切り離されてはいなかった。プレゼンスとの分離はあり得ないんだと確信した。うれしい。
バガヴァンに話しかけたら、応えてくれてハートにセンセーションが起こった。
アッ、そもそも今朝松田先生の話を聞いているときや、自己紹介のときから、ハートが熱く、涙が止まらなかったです。
 
 
KAさん   東京  2007.4

二回目のサムスカーラ・シュッディのとき、意識の深い部分を掃除してくれたような感じがしました。
 
 
SKさん   東京  2007.4

今までに8~10回ほどワンネス・ディクシャを受けています。頭で考えがちの人なので、ディクシャエネルギーを入れると、ポジティブにしろ、ネガティブにしろ感じる幅が広がるので、自分にとってはプラスだと思います。

今までディクシャを多人数で受けるような場面でも感じたことがなかったのに、今回は個々で体験が異なりながらも、全体感、一体感を感じた。
明確な体験はあまりなかったけれど、二日間を通しては、これでいいという感じがしました。あと、自分のパターンというものが、以前と比べてかなりよく見えてきたようです。
 
 
KSさん   東京  2007.4

ワンネス・ディクシャ8回目です。
プレゼンスの目覚めのセッションで「私」は光で光が舞い踊りながらエレベーターを降りて行き、松田先生がハートチャクラに手を当ててくださったとき「静寂」を感じ、何もなくなり、まっさらになりました。ディクシャではプレゼンスの光が助けを与えてくれる神と感じると、全身からこみ上げてくるものがあるのですが、涙が出て、その後は何もない静寂そのものでした。

マインドはあることは分かるのですが、本質はただ美しいということが実感できました。

他のところでディクシャを受けたことがあまりないのですが、松田先生のディクシャ会に参加していて、確実にアンマ・バガヴァンが導いて下さっていると実感しています。心から感謝します。
 
 
AKさん   東京  2007.4

10回位ワンネス・ディクシャを受けてきています。
妙高合宿に参加したとき、アンマ・バガヴァンもギヴァーとしてディクシャをしてくださるという体験をして以来、お二人をとても身近に感じるようになりました。こうなるといいなあと思ったようなことが叶いやすくなったような気がします。
今日の合宿でも同様の体験をしました。
いつもはバガヴァンが先に来てくださるのですが、今日はアンマが先でした。
 
 
YMさん   東京  2007.4

深く入っている感があり、言葉ではうまく表現できないのですが、とても響くものがありました。
 
 
SNさん  遠隔ディクシャ体験

昨晩はありがとうございました。最初右目の目頭辺りを押される感じから始まり、まぶたに紫の光を感じてたのですが、何気に右目の目頭を触った時から、まぶた全体に今まで見た事がない黄金の光が広がり、曼荼羅のようになり、吸い込まれるような感じを受け、これは何なんだろうって思っているうちに、見えなくなりました。時計を見ると10分たってました。
                                      
そのまま寝てしまったのですが、昨日の痛みが殆んど残っていません。びっくりしました。今、まさに自分の本性というか、嫌な部分を含めて見つめ直しができつつあります。
有難うございました。ディクシャってすばらしいですね!
 
 
AKさん  東京  2007.3.18

ディクシャ会参加は6,7回目です。
ひらめきが増え、仕事上プレゼンスから助けられていると感じます。
今日は(2月の合宿でも同じ体験をしたのですが)松田先生も含めて5人のディクシャギヴァーの方にディクシャしていただきましたが、6人目にバガヴァンが、7人目にアンマがディクシャをしてくれたのを感じました。至福の喜びを感じました。感謝です。
 
 
KSさん  東京  2007.3.18

昨年11月に初めて松田先生のディクシャを受け、素晴らしい光を見て、それから二ヶ月ほどは毎週気づきがあり、日常生活でも意識が変化しているのがわかります。
プレゼンスの目覚めのセッションを受け、ディクシャまで、今までは光を見ている自分がいて「現れて下さりありがとうございます」という感謝の気持ちでひたすら見ていました。「その光になりたい、一体化したい」と常に常に神様を感じていたいと求めていたのですが、今日はいつもの見ている感覚がなく、光の中にいるような至福感と、神様の深い愛のけなげさに切ない感じで涙が止まらず神を感じていられました。

毎月とても楽しみにしております。ありがとうございます。
 
 
MTさん  東京  2007.3.18

30回くらいディクシャ会に出ていますが、シンクロニシティを感じる回数が多くなっています。
今日は、至福感で満たされていました。
毎回、セミナーやディクシャ会に参加して良かった! と思うのですが、今日は特に強くそう思いました。
4月にインドに行く予定ですが、「インドに行く理由は何だろう」と疑問を持っていました。今日はプレゼンスからの「インドに行くのに理由は必要ないのよ」という温かい言葉がハートいっぱいに広がり嬉しくて涙があふれました。
とにかく幸福でいっぱいだったので、サムスカーラ・シュッディでは、わざわざ嫌なことを思い出すということをしたくなくて「おまかせ」していました。
とてもすっきり感がありました(笑)
 
 
GHさん  東京  2007.3.18

2年ほど前からたくさんディクシャを受けています。そのせいか感覚が随分広がっています。苦が出るときもより深い部分から出ているのがわかります。

今日のサムスカーラ・シュッディで、私は自分のプライドに関して取り扱いましたが、あまりにも強力で大変でした。ただ、こちらのサムスカーラ・シュッディがとてもよく効きましたので、消えるのも早かったと思います。
先生のエネルギーは最高でした。また次回も来させていただきたいと思います。
 
 
SKさん  東京  2007.3.18

ディクシャは2回目です。変化についてはまだよくわかりません。
今日は、自分以外の確かな存在をに気づきました。
 
 
KAさん  東京  2007.3.18

サンスクリット語の般若心経で涙が出た。
プレゼンスのセッションで、胸のチャクラにエネルギーがチャージされたのを感じた。
今まで、毎回眠ってしまっていて、先生の誘導を最後まで聞いたことがなくて、気づいていなかったが、今日はじめて海が見えることが分かった。首がよりかゆくなった。午後は深い眠りに落ちていた。





 

 

 

シュリムルティ
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